オシャレの街銀座のルーツとは?

皆さんは銀座と聞いてどのようなイメージを抱きますか?

銀座といえば最先端のものが揃っているオシャレなところなど皆誰しも銀座に憧れている

イメージがあるような気がします。

何故銀座は憧れる街へと言われるようになったのか…歴史を調べその謎について調べてい

きたいと思います。

銀座の始まりは江戸時代へと遡ります。

1603年に江戸時代を開いた徳川家康は、当時駿府にあったといわれている銀貨鋳造所を現

在の銀座2丁目へと移動させたのです。

当時は新両替町という名前でしたが、この移動がきっかけで銀座という名で呼ばれるよう

になったのです。

また、現在の銀座通りとみゆき通りにあたる交差点付近においては様々な呉服点が軒を並

べとても繁盛していたといいます。

それに、能も盛んで現在の新橋芸者の礎が作られたともいわれるほどでした。

しかしそれは長くは続きませんでした。

文化文政の頃から徐々に銀座が廃れ始め幕末の頃にはかなり荒んでおりました。

このままでは銀座は失われてしまうのだろうか…そんな危機を救ったのがイギリス人の建

築家であったトーマス・ジェームス・ウォートルスでした。

彼の設計と明治政府の政策によって廃れかけていた銀座はオシャレな西欧風の煉瓦街へと

生まれ変わったのです。

生まれ変わった銀座通りは車道と歩道に分離され道路幅も江戸時代の頃と比較いたします

とその広さは倍以上だったといいます。

歩道の部分には煉瓦が敷かれ、ガス灯が灯されるようになり街路樹として日本の象徴とも

いわれているサクラに松、そして楓といった植物などが植えられるようになったのです。

この大幅な改築により現在の碁盤の目のような街区の基礎になったともいわれています。

この政策がオシャレな街への成長の第一歩ともいわれているのです。

この頃には後の「銀ぶら」という言葉が生まれるほどの銀座の街を歩いても楽しいといわ

れるような街づくりが行われていったのです。

当時は西欧から輸入された商品や今まで見たことのない商品を始め洋食屋、パン屋に牛鍋

屋などが軒を並べるようになりました。

ショーウインドを設けることによって気楽に店内の商品を眺めることが出来る新しいスタ

イルが誕生したのです。

また、憧れの銀座とイメージが定着するきっかけになったのがカフェープランタンの登場

でした。

そして新聞社が進出したことによって情報発信の基地としても定着することになりまし

た。

その後関東大震災や第二次世界大戦と大きく混乱いたしますがその度にピンチを乗り越え

今の銀座へと成長したのです。

憧れの街と言われている銀座は長い歴史の中で培っていったものだったのですね。


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